【歴史】富裕層をひきつけるヨーロッパ・ラスベガス型カジノ

カジノの歴史

カジノの歴史

 

1829年 
  スペインの探検家が砂漠に囲まれた荒地にオアシスを発見し、
  スペイン語で「草原」を意味する「ラスベガス」という名をつけた。

 

1848年 
  ラスベガスは、メキシコから割譲されてアメリカ合衆国になる。
  このころから、全米はゴールドラッシュにわき、
  一攫千金を夢見た多くの労働者たちが、アメリカ西海岸へ押し寄せる。
  ロッキー山脈を越える手前で一休止をとったのがラスベガスだった。
  そこで、宿泊者たちは酒を飲みながら持ち金を賭けて、
  カードゲームを楽しんでいた。

 

1905年 
  ラスベガスが正式な街として生まれる。ユニオンパシフィック鉄道が開通。
  その給水地として、今のダウンタウンに駅が作られた。

 

1911年 
  ラスベガスのあるネバダ州でもギャンブルが非合法となる。
  地下に潜ったマーケットは『闇カジノ』に姿をかえ、
  マフィアの格好の資金源となった。 
  そんな中、第一次世界大戦後に経済恐慌が起きる。

 

1929年
  株価大暴落による世界恐慌でネバダ州の財政が苦しくなり、
  次第にギャンブル合法化への気運が高まる。

 

1930年代 
  近代ラスベガスの誕生。
  現ラスベガスの出発点となるカジノ『メドーズ』が誕生。

 

1931年 
  ネバダ州は、財源の確保のためギャンブルを法制化。
  背景には、鉱業ブームが終焉をむかえ、活気を失いつつあった
  ラスベガスを復興させる目的があったとか??
  ラスベガス近郊にフーバーダムの建設開始。

 

1936年 
  ネバダ州、カリフォルニア州、アリゾナ州に水源を供給するフーバーダム完成。

 

1940年代 
  リゾートカジノへの第一歩。
  ステージショーによる集客の活発化。

 

1940年 
  カジノ・ニュータウン、通称、ストリップが誕生したが、
  当時、イタリア系マフィアが多かれ少なかれ、
  何らかのかたちで関わっていたらしい。(ラスベガス)

 

1941年 
  ストリップ第1号カジノ『エル・ランチョ』オープン
  水の重要さに気付いたカジノ。プールや滝を作った。

 

1946年 
  『フラミンゴホテル』オープン

 

1947年
  『フラミンゴホテル』をつくったバグジーがビバリーヒルズの邸宅で暗殺。
  その後、バグジー射殺事件は新聞の一面を飾り、
  これがきっかけでフラミンゴの存在が全米に知れ渡る。
  これにより、ホテルは話題となり、フラミンゴを一目見ようと
  多くの客で賑わい、その後ラスベガスには次々とリゾートホテルが建設されていった。

 

1950年代 
  リゾートとしての成熟と差別化戦略。
  ショービジネスの発展、以後、フランクシナトラやエルビスプレスリーが
  ラスベガスで活躍。
  ラスベガスは、最初の黄金期に突入。
  コンプによる顧客争奪戦が激化。
  『デザート・イン』は、現在の『ウィン・ラスベガス』。
  ホテルロビーから直接、カジノにアクセスすることを可能にした初のカジノ。
  スパ、ビューティーサロン、コンベンション、会議室、ゴルフ場など、
  様々なサービスの草分け的存在になった。

 

1951年 
  『ホース・シュー・ホテル』オープン。かけ金のリミットが高い。
  一攫千金を狙うギャンブラーたちの間に、確固たるブランドを確立。
  フリードリンク、空港からのリムジン。

 

1957年 
  マフィアと大手カジノ『トロピカーナホテル』との癒着をしめす
  事件が起こる。(ラスベガス)

 

1959年 
  連邦政府は、ネバダ・ゲーミング・コントロール法の基本を作った。
  目的は、マフィアをカジノ業界から追い出すためで、
  こうして現在の州政府による厳しい管理・監視体制の基礎が出来上がった。
  (ラスベガス)

 

1960年代 
  テーマカジノとメガリゾートの誕生
  『シーザーズ・パレス』はローマ時代をコンセプトとしたカジノ。
  建設資材はイタリア、ドイツから集められ、
  カジノを全体の中心に置き、ホテル、プール、劇場などが隣接する
  フロアを生み出した。
  天井を空のように見せるモール造りもここが発祥。
  『インターナショナル・ホテル』は、現在の『ラスベガス・ヒルトン』。
  現在のメガリゾートの原型となった。

 

1966年
  この時代に急発展を遂げた航空産業で莫大な資産を有した
  大富豪ハワード・ヒューズが、航空会社TWAの売却で得た500億ドル(約60兆円)の
  資金で、ラスベガスのホテルを次々とマフィアの手から買収。

 

1969年 
  カジノライセンス法を改正し、カジノ産業に大企業の参入をうながしたハワード・ヒューズ。

 

1970年代 
  家族向けテーマカジノの誕生
  『サーカス・サーカス』のターゲットは、家族連れ。
  その他、『バーバリーコースト』、『パレス・ステーション』などもオープン。
  ラスベガスの強力なライバルのニュージャージー州の
  アトランティックシティで、カジノが合法化。

 

1975年 
  『カリフォルニア・ホテル&カジノ』オープン

 

1980年代 
  カジノからマフィアの完全撤退。
  『ミラージュ』は、南国リゾートの爆発する火山などの「テーマ」、
  ホワイトタイガーやイルカのショーによる「エンターテインメント」、
  3044室の「大規模」ホテルの3つを、1つのエリアに集積した
  メガリゾート。
  ラスベガスの常識、価値観を根本から変える革新的なカジノ。

 

1989年 
  初のテーマパーク型カジノ『ミラージュ』オープン。
  火山が爆発するアトラクションをきっかけに、以後、
  無料でアトラクションを見せて集客するスタイルが根付く。
  ファミリー型の新しい需要を開拓した。

 

1990年代 
  複合型メガカジノ
  ラスベガスでは、テーマ性を持つファミリーデスティネーションと化した。
  『MGM』、『ハードロック・ホテル&カジノ』など。

 

1993年 
  『ルクソールホテル』

 

1995年 
  ラスベガスサンズ社CEOのシェルドンアデルソン氏は、
  有名なコンピューターショーの『COMDEX』をソフトバンクの孫正義に
  売却し、その資金を元手にカジノ産業へ進出。
  カジノ、コンベンションなどを組み合わせた統合型リゾート『MICE』を
  展開した。

 

2000年代 
  ジェネレーションX

 

2005年
  構想から5年の歳月をかけた史上最高のホテル「ウィン ・ラスベガス」
  が誕生。


ホーム RSS購読 サイトマップ
カジノの歴史 オンラインカジノの歴史 二人の男 日本のカジノ(1) 日本のカジノ(2)